先日裕翔くん主演舞台『WILD』を観に行きました。
始めて舞台を観劇したのですが、最初がこの舞台でよかった、と思える内容でした。
まあもちろん最初は自担の初主演舞台を見てみたいとかいううっすい理由でチケットを手に入れたわけですが、ところがどっこい奥が深いぞこの舞台、というわけですね。
もちろん裕翔くんやほかのキャストの方の演技が素晴らしい、という話もしますが、ここからは割と内容について超真面目に書こうと思っているのでいつもの内容がない記事とは違いますので悪しからず。
以下、がっつりネタバレです☆
この舞台の主題はズバリこの現代の複雑さだと思うんですけど、論点は信じられるものは何かってことだと。
舞台の中では結論として「何も信じられない」となるわけで、アンドリューが部屋を訪ねた女や男に名前や素性を問うても2人とも「証明は出来ない」と言うんですね。
スパイ活動の組織で働く2人ですからいくらだって身分証明書は偽造出来ますし、じゃあ身分証明書って何なんだって話ですよね。
一体自分が自分であることを証明するものは何なのか、何をしたら証明できるのか。
答えとしては『明確に証明できるものは無い』だと思うんです。でもただひとつ、相手に自分を証明できるものは『信頼』だと。
相手から『信頼』されていないと何を言っても信じてもらえないし、『信頼』されているからこそ相手との関係を築けるわけで。
一度内部告発をしたアンドリューは世間から『内部告発をした人』という認識をされます。逆に言うとそれ以上の認識をされないわけです。いくらアンドリューが相手にこの内部告発にはこういう意味があって…とか話しても『信頼』がないからそれ以上の関係にはなりえません。人間関係とはそういうものだという現実を突きつけられるわけです。
では『信頼』が基盤のこの世界で、何も信じられなくなったらどう生きていくのか。
舞台の中では『何も信じられないからこそ信じることが新しいスタートになる』とされています。
たやすく『信頼』出来ないし、たやすく『信頼』されないからこそ、『信じること』が生きるために必要なんだと。
人間関係が複雑に絡むからこそ単純に『信じる』という行為が意味を持つと思います。そんなに簡単に『信じる』ことは出来ないかもしれないけど、そこに一歩踏み出すことが重要なんだと気付かされました。
そしてもうひとつこの舞台のキーとなっていたものは、現代社会の利便性に対する歪みです。
凄まじいスピードでテクノロジーが発展していくこの現代社会では、テクノロジーだけが先走りをして現実が追い付いていないと。
アメリカで国家が国民の個人情報を管理し監視していたことが明らかになったとき(おそらく数年前にあったと思う)、普通ならプライバシーが国に漏れていたわけなので反抗するのが当たり前のように思ってしまうけど、実際アメリカ国民はさほど驚かなかったしすぐに受け入れたように見えたわけです。
確かに今日本政府が私たちの個人情報をガチガチに管理していますと言われても、心の中ではまぁそうだろうなと思ってしまう自分がいる。
いろんなサービスを利用するために個人情報をネットに入力しまくっているわけで、よくよく考えたらプライバシーって何ぞや状態になってないか?ってことですね。
それでも私たちは利便性を求め続けていくし、利便性のためにプライバシーを捨てるこの流れは変わらないんだろうなぁと思います。
この現代社会の歪みに気づいていない人多いんじゃないの?っていうことが伝えたかった事の二つ目なのかなと思います。
最後のシーンで、ずっと正論を言い続けてきたように思われたアンドリューがいる床だけが大きく傾く演出があります。スパイ組織の2人は「早くそこから降りてきなさい」とまで言います。
私たちが正しい、本当だと思っていることって、実はよく考えてみるとそうではないかもしれないってことを暗示しているのだと思います。
というわけで、『WILD』の考察でした。実際合っているのかとかは分かりませんが、いち観劇者はこう捉えましたよっていうやつです。こうやって文字に起こして整理しないと分からなくなるくらい難しいテーマだったけど、見ごたえ十分の舞台でした。
このような機会をくれた裕翔くんに感謝します。舞台おつかれさまでした!!!
という下書きを数日前に見つけました。何故あげていなかったのかは不思議だけども、せっかくだからあげておこうってやつです。